2010年2月24日水曜日

佐藤美樹氏




佐藤美樹(さとう みき/別名さとう樹菜子)
女優。
1977年、兵庫県神戸市生まれ。
1999年、日本福祉大学在学中にある縁からピンク映画に初出演する。
やがてピンク映画女優として注目されることとなり、石井輝男監督の『地獄』の主演に大抜擢される。
石井に気に入られるも、1年後、結婚・妊娠して引退する。

2010年2月23日火曜日

桂千穂氏




桂千穂(かつら ちほ)
脚本家。
1929年、岐阜県生まれ。
第21回新人シナリオ・コンクールに「血と薔薇は暗闇のうた」で入選し、1972年『薔薇の標的』で映画デビュー。
以後、『暴行切り裂きジャック』『HOUSEハウス』『俗物図鑑』『幻魔大戦』などの映画脚本のかたわら、映画批評、翻訳の分野でも活躍する。最後まで友情関係を保った熱烈な石井輝男ファンとしても知られる。





2010年2月22日月曜日

山際永三氏、青野暉氏



左・山際永三氏、右・青野暉氏

山際永三(やまぎわ えいぞう)
監督。
1932年、兵庫県神戸市生まれ。
慶応義塾大学卒業後、新東宝へ助監督として入社し、内田吐夢や石井輝男などに師事する。
1961年に新東宝が倒産、同年、同社のプロデューサー佐川滉の佐川プロダクション製作による六本木にたむろする若者の生態を描いた『狂熱の果て』で監督デビューする。
1964年に国際放映の専属として「コメットさん」など多くのテレビドラマを監督する。
一方、オウム問題や拉致問題に関する社会評論や、冤罪支援運動、死刑制度廃止運動、人権擁護運動などでも活動している。


青野暉(あおの あきら)
監督。
1931年、愛媛県生まれ。
早稲田大学卒業後の1954年、新東宝に助監督として入社し、『スーパー・ジャイアンツ』シリーズなどで、石井輝男につく。
1961年の新東宝倒産後は国際放映へ移籍し、1964年に監督デビュー。
主な作品に「今に見ておれ」「国際事件記者」「意地悪ばあさん」「奥様は18才」など多数。
政治家の青島幸男の知恵袋としても知られる。

2010年2月19日金曜日

賀川ゆき絵氏



賀川ゆき絵(かがわ ゆきえ /旧名賀川雪絵)
女優。
1948年、東京都杉並区生まれ。
関西芸能学院卒業後の1966年、大映ニューフェイスとして、西尋子の芸名で『大怪獣大決闘 ガメラ対バルゴン』でスクリーン・デビュー。
その後、東映へ移り異常性愛路線の第一作となる『徳川女系図』に出演し、脱ぎっぷりと演技度胸を石井輝男に買われて、シリーズ全作に出演することになる。中でも『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』では、弱冠21才にして阿部定役を熱演し、彼女の代表作とした。
以後、大信田礼子とのコンビによる『ずべ公番長』シリーズなどのピンキー・バイオレンスもので活躍。
テレビは「スパイダーマン」のアマゾネス役以降、特撮作品の悪役が定着した。

2010年2月17日水曜日

吉田輝雄氏




吉田輝雄(よしだ てるお)
俳優、歌手。
1936年、大阪生まれ。
立命館大学卒業後スカウトされ、1959年、菅原文太、高宮敬二、寺島達雄ら長身でハンサムな若いスター候補生と共に、当時建てられた東京タワーにあやかりハンサムタワーズとして新東宝よりデビューする。
本格的な主演デビューとなる『女体渦巻島』で石井輝男と出会い、以後、石井作品にはなくてはならない存在となる。
『女王蜂と大学の竜』『黄線地帯』『セクシー地帯』など石井と組んだ新東宝作品は、今でも古びることはない。
1961年、新東宝倒産後、ハンサムタワーズと共に松竹へ移籍し、小津安二郎監督の『秋刀魚の味』、木下恵介監督の『今年の恋』など巨匠に起用される一方、『愛染かつら』などのメロドラマでもキリリとした二枚目ぶりを発揮するがやがてフリーとなる。
1968年、石井監督による異常性愛路線の第一作『徳川女系図』に請われて出演、結局、シリーズ全作に出演する。
シリーズ終了後、石井とはしばらく距離を置いた関係仕事が続くが、1995年、石井のたっての願いで『無頼平野』で、二十数年ぶりの出演を果たし、健在ぶりをみせた。
現在は歌手として、地元大阪を中心に活動中である。

2010年2月16日火曜日

宮川一郎氏



宮川一郎(みやがわ いちろう)
脚本家。
1925年、岐阜県飛騨市生まれ。東京大学卒業後、新東宝の企画部へ入社。
企画者として『スーパー・ジャイアンツ』シリーズを手掛けると共に、脚本も担当する。
本シリーズのメイン監督である石井輝男との親交も深く、石井の代表作『黒線地帯』の脚本も書いている。
新東宝では他に『隠密将軍と喧嘩大名』『人形佐七捕物帖 裸姫と謎の熊男』などがあるが、何と云っても中川信夫監督の傑作『地獄』が代表作であろう。
新東宝倒産後、他社でも映画脚本を手掛けるが、次第にテレビに重点を置くようになり、やがてテレビ時代劇の名手として重きをなす。中でも現在も続いている「水戸黄門」シリーズは、最初の方から39部までかかわり続けた終生の代表作と云えよう。
2008年死去、享年83。





2010年2月15日月曜日

瀬川昌治氏






瀬川昌治(せがわ まさはる)
監督、脚本家。兄はジャズ評論家・瀬川昌久。
1925年、東京市神田区の官吏の家に生まれる。
学習院初等科、中等科に学び、一学年上に三島由紀夫がいた。
戦後、東京大学を卒業し当時ハリウッド式のプロデューサー・システムを導入していた新東宝の製作部に入るが、次第に演出に興味が傾き、1950年、助監督部に移動し、阿部豊、松林宗恵、中川信夫などに師事する。
石井輝男とは、助監督時代に先輩、後輩の関係であった。
やがて大蔵体制のワンマンぶりに嫌気がさして1957年に退社。
フリーのシナリオライターを経て、1959年、東映東京の契約監督となり、1960年、『ぽんこつ』で監督デビュー。
1967年、旧国鉄の協力を得て製作された『列車』シリーズは、渥美清の主演で好評を得る。
翌年、松竹の誘いを受けて移籍し、フランキー堺主演で同じ列車もの『旅行』シリーズを監督する。
監督デビューの直後から脚本家として参加していたテレビドラマには、1965年の『国際事件記者』から監督としてかかわるようになり、1970年代~1980年代には「赤い」シリーズ、「Gメン75」などヒットシリーズを手掛けて、テレビドラマの黄金時代に大いに貢献した。

2010年2月12日金曜日

小野田嘉幹氏




小野田嘉幹(おのだ よしき) 
監督。妻は三ツ矢歌子、弟は平田昭彦、妹は音羽美子。
1925年、東京府東京市(現在の東京都)生まれ。
1947年、新東宝助監督部に入社。石井輝男は同期である。
本名の小野田正彦で、黒澤明、稲垣浩、並木鏡太郎、冬島泰三らに師事する。
1958年、若山富三郎主演のSP『楠公二代誠忠緑』で監督デビュー。
同年、現在の名前に改名し、『人喰海女』で再デビューした。その後、大蔵体制下で連作し、1960年自作『女奴隷船』に出演した三ツ矢歌子と結婚した。
1961年8月31日に新東宝が倒産し、同社のプロデューサーだった佐川滉が設立した佐川プロダクションで『黒い傷あとのブルース』を撮るが、以降はテレビ映画の監督に専念し、「鬼平犯科帳」「剣客商売」など多数を手掛ける。
晩年になり久々に『鬼平犯科帳』『伊能忠敬 子午線の夢』という2本の映画を監督する。
2004年、妻、三ツ矢歌子と死別、2006年、妻の回想緑「桜は二度咲いた」を上辞する。

2010年2月9日火曜日

【映画】石井輝男映画魂 予告編 


2010年2月8日月曜日

【映画】石井輝男映画魂 公式ブログ


【映画】石井輝男映画魂 公式ブログです。

2010年8月、
ユーロスペース(渋谷)にて、レイトショー公開が決定しました。

今後、出演者、最新情報などをお知らせ致します。

リンクはフリーです!

どうぞよろしくお願い致します。
 

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